伊藤邸(旧園田高弘邸)
[ 登録有形文化財 ]
※2013年3月 継承されました
所在 : 東京都目黒区
■オリジナル部分 ■増築部分
竣工: 1955年 竣工: 1987年
構造: 木造 2階建 構造: 木造(一部RC造)地下1階 地上2階建
設計: 吉村順三 設計: 小川洋
施工: 三海工務店 施工: 三海建設
延床面積: 77.0㎡(約23.29坪) 延床面積: 299.12㎡(約90.48坪)
敷地面積 : 486.77㎡(約147.24坪)
竣工時の用途 : 住宅

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◆ 園田さんの家を読み解く

園田高弘氏が吉村順三に住宅の設計を依頼したのは1954 年、吉村順三は46 歳、園田高弘は26 歳である。戦後の混乱がいまだ濃く残る時期に、この小さな家がこの地につくられる。ここは園田夫人の実家の庭先であり、そしてそれは今もここにある。このことの奇跡を思う。建築面積は59.9㎡(18 坪)延床面積77㎡(23坪)である。当時あった建築面積の規制のつくり出した住まいである。私は幸運にもこのころつくられたいくつかの住宅を知っている。それらはどれもが戦後すぐという事情によりささやかな素材によって率直につくられ、そして今日真似のできない密度と不思議な豊かさを持つ。私はそれらに深いシンパシーを思う。「最小の資源による最大の成果」は今日われわれに突きつけられている最大の課題でもあるからだ。ミース・ファンデル・ローエの至言「レスイズモア」を拡大すれば今日これをエネルギー問題をも含む課題、と考えることができるだろう。なぜこうしたものがこの戦後すぐという時期につくられたのであろうか、そしてそれらは共通するものを持つのであろうか。増沢洵の自邸、生田勉の自邸、清家清の自邸そして、齋藤助教授の家、森博士の家、宮城音哉邸などを思う。これに広瀬鎌二等の手になる小住宅群を加えてももちろんいいだろう、すばらしい密度とはこれらに共通するモダーンでシンプルなにおいのことである。園田邸に戻そう。この家はその中でも特に増沢洵の自邸、生田勉の自邸など、当時のあるプロトタイプ、小さな家に吹抜けを取り上階との応答を主題とする構成と近似するように見える。ただ18坪の小さなプラン、その中に2 台のグランドピアノを平行に置く、それがこの小住宅の極めて特異なここでの条件であった。この難問を吉村はここで見事に、そしてそれをいとも楽しげに解いて見せているように思える。

野沢正光(建築家) 『住宅建築』2009 年5 月号より


◆ 園田高弘邸に暮らして

結婚当初、主人が戦前から住んでいて焼け出された駒沢に小さな家を建てて、2人で住んでいましたが、あまりにも狭い家でした。その頃、ここには私の両親の家がありました。庭先に家を建ててもよろしいということになりまして、主人は凝り性ですから、どなたに設計をお願いしましょうかと。主人の父の知り合いでチェリストの小沢弘さんが、芸大の教授をしていらっしゃいました。それで芸大に若く非常に有能な吉村さんという助教授がいらっしゃるので、この方にお願いしてはと言ってくださいました。ヴァイオリニストの大村多喜子さんが奥様でいらっしゃいますから、音楽家には非常に理解を示してくださいました。

もう、お任せでした。とにかくお金がないから、これ以上はできないですよね。
場所も庭先ですし。とにかくピアノが弾ける場所は欲しいということだけです。
何も物がない時代ですから。当時は、2階に書斎があって、小さな寝室があるなんていうのは、小さいとも何とも思わないんです。当たり前のように思いましたね。寝室の化粧台についていた椅子も、ダイニングの椅子もつくっていただきました。いま考えると贅沢ですね。

父母が亡くなった後、母屋を壊すことになり、吉村さんのスタッフだった小川洋さんに依頼して、増築しました。その時まだ吉村先生はお元気だったんですが既に80歳くらいでした。大変ご高名なられていて、吉村先生に増築をお願いするのも失礼かと思いました。小川さんもうまく付けてくださいましたよね。吉村さんを尊敬してらっしゃらないと、こうはいかないでしょう。

園田春子(園田高弘夫人) 『住宅建築』2009年5月号より